覇権の行く先

 

10月23日の視聴

 

・『NHK高校講座 世界史「ヨーロッパの主権国家」「ロシア帝国」「アメリカ合衆国の独立とフランス革命」』

→再⇩。

 

【『4月5日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220412/1649722343

 

【『4月14日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220419/1650352015

 

【『3月2日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220310/1646845731

 

宗教改革から神聖ローマ帝国&ローマ教皇の権威失墜、てのと、後の三十年戦争までが、主権国家の成立を後押ししたのは分かったが。主権国家の定義を述べても、ウェストファリア条約前の、“神聖ローマ帝国”とかはじゃあ“国”じゃ無いの?ってトコロでまだちょっとスッキリしない。王朝とは違う、てこと?

主権国家の定義から逆に見るなら、それまで、国と目されていたものは「①:国境に囲まれた“国土がない”」かつ「②:①ゆえに、“主権を持つ統治者がいない”」てこと?

→独立し、連邦共和国として繁栄するオランダ。後を追う、国王ルイ14世率いるフランスの絶対王政。さらに、エリザベス1世を擁するイギリスの立憲王政がつづく。

→「モスクワ大公国」が『ロシア帝国』に改名して(1721年)、もう100年経ってるのかー。「南下政策」の定義、みんな間違えそうだな。日露戦争でロシアの南下政策を危惧したイギリスの思惑も、そこ間違えると意味わからんもん。

アメリカ(独立前の)13の植民地(!)が、「欧州での迫害から逃れ」たり「農地を求めて」たりする民により成立するの、いつ聞いても興味深い。イジメられっ子が、別の土地でイジメっ子に変わってるような気分。

→本国の財政難や軍事費の捻出で、一部の地域に増税が課されて反発する、てのは古今東西変わらんのう。スペイン国王(マジメなフェリペ二世)も、それやってオランダに独立されたし。

→トマス・ペインの『コモン・センス』(1776)。

アメリカ合衆国の独立(1783)に協力した2国、フランスとスペインの、その後…。フランスはこのあと革命思想を逆輸入してフランス革命を起こされ、スペインはスペインで、植民地である中南米諸地域に独立を許し⇩…と、自滅の一途。人権が国を破壊する。

 

【『10月21日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20221106/1667707647

 

…あれ、そもそもフランスはなんでイギリスを目の敵にしてたわけ?

フランス革命が成功して。(それが自国に波及するのを恐れた)オーストリアプロイセンが“反革命”側を支持し始めた…のは、分かった。でもそこになぜ、フランスは宣戦布告したのだ?まだ王政は維持されてたわけで、それって“反革命”側じゃねーの?はて?

→両国に攻め込まれるフランス。辛くも勝利するフランス。共和制に以降、ジャコバン派によって国王と王妃を処刑。ジャコバン派ロベスピエール反革命派を処刑。なんならロベスピエールも処刑。…え?

→混乱を収める軍事の天才、ナポレオン・ボナパルト。クーデターで政権奪取、統領政府樹立でフランス革命終結を宣言。

ナポレオン1世として皇帝に即位するナポレオン(1804)。アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍を撃破(1805)、ヨーロッパの大部分を支配。いうてもほとんどは“服属国”“同盟国”なわけだが。

※目につくところで、近隣だと「ブリテン島とアイルランド」「ポルトガル」「ロシア帝国」「オスマン帝国」は含めてないな…。

ロシア遠征で敗北(1812)、プロイセン・ロシア・オーストリア連合軍に敗北(1814)、パリ占領される。…こののち、第二次世界大戦⇩でもナチスドイツに占領されるし、パリはよくよく戦火にまみれるものよのう。

 

【『7月5日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220707/1657128672

 

→ナポレオン流刑(退位。1814~)後のブルボン朝復活(ルイ18世の即位)。1815年にナポレオンが復位してるけど、ブルボン朝が1年しか保たなかった、てこと?

→復位してすぐ、ワーテルローの戦い(vsイギリスとプロイセンの連合軍)に負けるナポレオン。同年、今度はセントヘレナ島(アフリカの…なんか大陸より離れたトコ)に流刑。で、死ぬ(1821)。

ナポレオン法典は素晴らしい!「男性中心で、女性の権利は後退した」そうだが、そっちの方が人類の“持続可能性”には良かった、ということを2020年代に思い知ることになるとはね…。

 

 

・『映像の世紀バタフライエフェクト 第19回「ルーズベルトvsリンドバーグ 大戦前夜 アメリカは参戦すべきか」』

→『新・映像の世紀』第3集⇩にちらりとそんな記述あったな。

 

【2021年『12月23日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220108/1641575317

 

…前回視聴はこちら⇩。

 

【『9月23日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20221004/1664813910

 

→就任半月前に、ルーズベルトを狙う凶弾(1933年2月、マイアミ)。しかし弾は逸れ、シカゴ市長アントン・セルマックが死亡。大統領を救ったのは、犯人ジュゼッペ・ザンガラの側にいた主婦リリアン・クロス。…ところで、この番組、結構人物名バンバン記すけど、後半に効いてくるのかこないのか分かんないトコがちょいミステリーなのよね。

→6年後。参戦やむなしと考えるルーズベルト大統領に立ちはだかるのは、ドイツとの融和を唱える英雄、リンドバーグ。ハンサムだな!

→1927年5月20日。無名だったチャールズ・リンドバーグが挑む冒険。言わずとしれた、「ニューヨーク、パリ間の無着陸飛行」。オルティーグ賞っていう賞金(2万5000ドル!)出てたのも、(この賞が出来てから)8年間誰も成功しなかった(6人死亡)のも、初めて知ったわー。

→33時間30分!ル・ブルジェ空港の熱狂!アメリカはクーリッジ大統領の頃?

→え、ルーズベルト大統領、のちに4選果たすの!?

ルーズベルトの持つ、自力歩行が出来ないというハンデ。39歳でかかったポリオの影響。赤ちゃんの予防接種に含まれるわけだよ…。

→2人がバチバチに争う、1934年。ルーズベルトはなぜ、航空郵便を一方的に、民間から陸軍航空隊に売り渡すようなマネをしたんだ?

リンドバーグの指摘通り、墜落して死亡する事故多発。民間に戻すルーズベルト。ダサい。

→ドイツの軍事力調査で、アメリカから送り込まれるリンドバーグ(1936年7月、ベルリン)。…いやしかし、そんなん、いかにまだ参戦してないとて、他国に分かるようになんかしないと思うが…?

→え。ゲーリング、空軍総司令官のくせに、(軍事施設への)リンドバーグの立ち入り許可しちゃうの?アホなん?ミーハーかよ。

→「制空権はドイツ」と言い放つリンドバーグ。そして、ナチスドイツと仲良くなっちゃうリンドバーグ。ベルリン・オリンピックにも行っちゃう。勲章ももらっちゃう(1938年)。

アメリカに漂う厭戦感が、ルーズベルトに向かい風となる。ヘミングウェイも、資本家も。フォード(反ユダヤ主義)含め、ナチスに協力してひと儲けしてるがため。

→お前もナチスから勲章もらっとんのかい、フォード!

→ドイツのポーランド侵攻で、イギリスとフランスが宣戦布告したの、「ポーランドとの同盟関係」もあったのかー。どんな同盟?知らん。

チャーチルの求めで、戦争協力するため、中立法(抗戦国への武器輸出を禁じる)を修正(1939年11月)。イギリスへ武器輸出。

→フランス降伏(1940年6月)、イギリスへの爆撃(1940年7月)。これもし、真珠湾攻撃がなくて、アメリカが世論に押されて参戦しなかったなら…。

→選抜徴兵法(1940年9月)とか作ってたの?直前の8月に、演説でナチスドイツとの宥和を力説するリンドバーグ。半々まで迫った参戦世論を覆せるか…?

→おいおい。アメリカ国内の親ナチ団体、ヤバいな。「非ユダヤ教徒の白人によるアメリカを取り戻せる」とか言ってるぞ。あぶねーよ。

→3選を目指すルーズベルト。対抗する、共和党ウィリアム・E・ボーラ上院議員リンドバーグに白羽の矢を!アメリカ・ファースト委員会のリーダーになりつつあるリンドバーグ。「フランスは敗け、イギリスも支援したとてすぐ負ける」とか言うてる。そして委員会に名を連ねるヘンリー・フォードフランク・ロイド・ライトジョン・F・ケネディすら100ドルの寄付を。しかし立候補しないリンドバーグ。そして…。

→3選したルーズベルト。早速、大統領権限で、武器貸与法(1941年3月)成立。持ち直すイギリス。

ルーズベルト陣営に、こき下ろされるリンドバーグ。妻アンの勧めも無視し、ナチスドイツとの関係を否定しないリンドバーグ。でも、協議による和平を目差す姿勢は理解できるな。

→そして犯した、リンドバーグの1つのミス。…アイオワ州デモインでの演説で発した、

 

「イギリス、ユダヤルーズベルト、この3つのどれか1つでも扇動をやめれば、戦争介入は避けられる」

 

…響くブーイング…。消えた名声…。妻アンにも指摘された演説原稿。愚かなり、リンドバーグ

→敵がいなくなったルーズベルト。しかし、世論はまだ参戦反対だ。そこへ飛び込む、真珠湾攻撃。…参戦だ。

→始まった以上…ということなのか、軍への復帰を希望するリンドバーグ。なんでやねん。

→案の定、ルーズベルト大統領はそれを潰す。もう英雄にはさせない。

→え。リンドバーグ、フォードに協力かつ、民間の軍事顧問として、太平洋戦争に参加。正式許可もないのに戦闘機に乗り、ラバウル空襲!?なんなんこの人。

→4年ぶりのパリ解放(1944年8月)。

終戦を前に、ルーズベルト死す(1945年4月)。12年もの大統領。

→そこから9年、名誉回復されるリンドバーグ(1954年4月)。空軍復帰。特別顧問に。1974年8月に死去。

→バイデン大統領が署名したのは…ウクライナへの、武器貸与法(2022年5月)。77年ぶりに。

※大戦終了時に失効していた

 

 

・『映像の世紀バタフライエフェクト 第20回「ひとつの友情がアメリカを変えた」』

→1957年9月。アーカンソー州、“リトルロック高校”?罵声の中学校に向かう、黒人の女生徒。彼女がどうした?

→ロナルド・デルムス。黒人の連邦議員。ダニエル・イノウエ。日系の連邦議員。面識のない2人が紡いでいく、人種差別との戦い。

→1934年のリトル・トーキョー。そこで日系人の祭に参加するロナルド・デルムス。

真珠湾攻撃が、アメリカ国内での日系人への弾圧を正当化してしまう。アホかよアメリカ。

→デルムスの親友ローランドも、日系人故に強制収容所送りに。砂漠地帯のカリフォルニア州・マンザナー強制収容所…。

 

→徴兵し、ヨーロッパ戦線に参加する日系人に課される、「忠誠登録」(1943年2月)。アメリカへの忠誠、天皇への服従への否定…28項目にも及ぶ思想調査。

ハワイ大学で医学を学ぶ男は、日系人への憎悪を払拭するために、志願する。その名は、ダニエル・イノウエ!配属される「日系人部隊442連隊」、4,000名。常に前線。常に危険な。ドイツ戦線の真ん前に。

→…フランス・ブリュイエール(1944年10月)での、アメリカ兵275名の救出作戦。捨て身の突撃をする、442連隊。右腕を至近距離こら撃ち抜かれ、失うイノウエ。輸血してくれたのは…黒人兵たち。

→勝って戻っても、消えない偏見。終わらない日系人排斥運動…。

→イノウエの11歳下、デルムスが参加する、過激組織ブラックパンサー

→弁護士として頭角を表し、議員となって公民権法の成立(1964年7月)にも関わったイノウエ。ケネディやジョンソンとも対峙を…。

キング牧師に影響を受け、対話の道に進み始めるデルムス。バークレーの市議会議員に(1967年)!そんなバークレーでおこる「血の木曜日事件」(1969年5月)。反戦運動の激化。

→イノウエ、反戦運動の足枷である、「マッカラン国内治安法」(1950年成立)の廃止に乗り出す。赤狩り目的のソレが、黒人運動家の不当逮捕に使われていたらしい。…たしかにこれは要らん。

→連邦議員に当選するデルムス(民主党、1970年〜)。超党派の黒人議員連盟“ブラックコーカス”設立。警戒するニクソン大統領。ニクソンのやり口が、「リンドバーグを警戒して悪口並べ立てる、ルーズベルト」と変わんねんだよな。

ウォーターゲート事件を追及する、イノウエ。ニクソンが、不正に失脚させようとした“政敵”のリストに、デルムスが!追及された法律顧問、めっちゃ正直だな…。救われたデルムス。

→1980年。第二次世界大戦の、「日系人収容への戦後賠償」を求めて動き出すイノウエ。「監禁ではない」と、真っ向から否定するジョン・マックロイ(元陸軍次官補)。二度の廃案。

→1987年、3度目の法案提出。そこへ…。

幼年時代の親友ローランドについて、語るデルムス。敵国のスパイ、としてしか扱わなかった時の政府を糾弾し、言う。

 

「これは何千人もの“アメリカ人”が受けた、苦痛に対する賠償なのです」

「彼らはたまたま肌が黄色く、祖先が日本人だっただけなのです」

 

…40年前で、まだアメリカですらこんなんだったとはな。

→そして成立する(日系人のみではない)「市民の自由法」(1988年8月)。間違いを認める、レーガン大統領。やった!

アパルトヘイトの撤廃に動く、デルムス。そうか…そのチカラが、ネルソン・マンデラの解放(1990年2月)につながったのか。同年6月、デルムスの地元オークランドを訪れる、マンデラ。そりゃ盛り上がるわー。

→デルムス、1998年にオークランド市長に。

同時多発テロ事件後、イスラム系の人間への圧力に異を唱える、ノーマン・ミネタ。イノウエの後輩。

→テロへの報復に反対する、バーバラ・リー連邦議員。デルムスの側近だった彼女は、アフガニスタンへの侵攻に、ただ一人反対した。

ダニエル・イノウエ死去(2012年、88歳)。

→ロナルド・デルムス死去(2018年、82歳)。

→ええっ?ローランドの、その後??…そんな少年は、いないだと!?え、ちょ、実在してる?

→最後に大谷翔平選手で締めるんかい!

 

 

つながりつながり。