世界は白人のもの

8月1日の視聴

・『NHK高校講座 世界史「冷戦とその終結」』
→4ヶ月ほど前にも⇩視聴。ウクライナ侵攻の余波ではあるが…。

【『3月24日の視聴(その2)』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220401/1648818063

→大戦後の地図、影響力を東欧諸国に広げるソ連。…ポーランドチェコスロヴァキアハンガリールーマニア…と、ポーランドの西に“ソ連管理区域”ってあるけど…あ、ドイツの東側か。
→で、1949年に東(民主共和国)と西(連邦共和国)に国が成立するドイツ。私、勘違いしてたけどそもそもドイツの西側は米英仏に、ベルリン西側も米英仏に管理されてたのな。東は全部ソ連だけど、西も全部アメリカ管理なんだと思ってたよ。
→東西ベルリンの間に“ベルリンの壁”があったのは知ってるけど。「東ドイツと西ドイツの間」には何も置かなかったのだろうか?その話誰もしないよね?なんかあるのが自明だから話さない、とか?
朝鮮半島の分断、朝鮮戦争がちょうど北緯38度線で膠着下の、なんか理由あんの?たまたま??
→フランスの植民地化を阻んで、独立を維持したベトナム。世界史「アジアの独立」⇩でも。

【『7月11日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220712/1657611843

…その独立したベトナムが、1954年には、北緯17度線を境に、ベトナム民主共和国北ベトナム)と、ベトナム共和国南ベトナム)に分かれ対立。名前ややこしいな!で、南を支援するのはもちろんアメリカ。
→あ、そもそも南ベトナム国内の反米勢力(南ベトナム解放民族戦線)がゲリラ戦を始めたのか。で、1965年、アメリカが北ベトナムに大規模爆撃を、南ベトナムに戦闘部隊を。両方攻撃してんじゃん。やりすぎ。
→長期化しすぎて1973年にアメリカ軍撤退。戦争終結(1975)、南北統一(1976)、っと。ベトナム社会主義共和国、成立。
キューバ危機の緊迫感はこちら⇩。

【『6月28日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220702/1656719585

デタントの最中、1979年にアフガニスタンに成立する新ソ政権。それを支持し侵攻するソ連。今のロシアが、クリミア併合前にやってることと同じやんけ。反発するアメリカ。またかよ!
ゴルバチョフが書記長になったの、1985年か。グラスノスチ(情報公開)、ペレストロイカ(立て直し)。
ベルリンの壁の崩壊(破壊?)はこちらでも⇩。

【『4月19日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220423/1650642216

→1995年のWTO世界貿易機関)の設立は、東欧諸国の参画で貿易額の増加によるものか。
→いや…1回観たくらいでは全然アタマに入ってなかったわー。マジで高校受験生、観て欲しい。

・『NHK高校講座 世界史「西ヨーロッパ世界の成立」』
→4世紀、ローマ帝国の北方。ゲルマン人の国々(フランク、ブルグント、ランゴバルド、ヴァンダル、西ゴート、東ゴート)ある。そこへアジア系遊牧民“フン人”進出さる。始まった、「ゲルマン人の大移動」!
→395年のローマ帝国の東西分裂(西ローマ帝国の混乱)に乗じて、上記6部族が西ローマ帝国内にそれぞれの国を作ったのか。
→476年、オドアケルゲルマン人傭兵隊長)により、西ローマ帝国滅亡。こないだの「ビザンツ帝国」の回⇩と交互に観たい。

【『7月15日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220718/1658071726

→え、オドアケル西ローマ帝国の傭兵だったん?「皇帝が廃位されて滅亡」はほぼ自滅なのか。
→ローマ人(こそ文明人)はラテン語ラテン語話さないゲルマン人バルバロイ

→5世紀末建国の、フランク王国。建国者クローヴィス(在位481-511)、496年にキリスト教アタナシウス派カトリック)に国ごと改宗。
→ソレもあってか、ローマ教皇からのSOSで、フランク王ピピンが、ランゴバルド王国を撃退しローマ付近を教皇に寄進。その名も「ピピンの寄進」。まんまか!
ピピンの子、カール大帝が勢力拡大。西ヨーロッパの大部分を手中に。
→726年の聖像崇拝禁止令(ビザンツ帝国)が「ビザンツvsローマ教皇」に。ローマはビザンツ帝国の庇護を離れ、新たな皇帝を擁立。800年、フランク王国カールがローマ皇帝に!ズブズブですな。
→9世紀、内紛でフランク王国が3つに分裂。西フランク王国イタリア王国東フランク王国
→10世紀、東から遊牧民マジャール人が侵入。撃退するオットー1世(東フランク王国、在位936-973)!ローマ教皇、調子にのってオットー1世に“ローマ皇帝の冠”を!東フランク王国は「神聖ローマ帝国」に。国王=神聖ローマ皇帝ビザンツ帝国も、神聖ローマ帝国も、領土にローマ含まず。“ローマ”が権威なのだな。
→そんな強くない神聖ローマ皇帝。ノルマン人、マジャール人イスラーム、の手から狙われる。領主の協力あってこそ。軽めの封建的主従関係。
→叙任権(教皇が持つ)を、実際には国王や有力な諸侯が保持。弱みのある教皇。堕する聖職者。聖職売買までも!
→改革派、クリュニー修道院。戒律を厳格に守る。教皇グレゴリウス7世も、「世俗の者の叙任権を否定」。荒ぶる神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世。“叙任権闘争”に!グレゴリウスの退位を狙うが、逆に破門に。そのせいで、帝国内で領主が反旗を!“カノッサの屈辱”(グレゴリウスに謝るため、彼のカノッサ城前で、ハインリヒが断食)発動!破門、解かれる。
→これで、教皇が絶大な権力者に。信仰のチカラ、恐るべし。教皇殺しちゃおう、てならんのだもんな。
農奴ですら一部が豊かになるこの頃、人口増加。農地が必要になり、外へ外へといくわけか。植民活動とか、十字軍派遣とか。



つながりつながり。