皆さんの肩、お借りします

「敬意」ってなんでしょね。

イチロー本田圭佑羽生善治ウォーレン・バフェットジェフ・ベゾス…(敬称略)。

小・中学校の卒業アルバムに載るような人達が凄いのは百も承知。私ももちろん、興味のある分野のヒーロー達を尊敬しています。

ただ、自然に生まれるべき「敬意」を、周囲の人間が強要してくる空気には違和感を覚える。

周囲の人間に「そのヒーロー達の言うことがは正しいのだからこうしなさい」と引き合いに出されても困る。

ヒーロー達のtry&errorにより、「彼ら(ヒーロー)にとって、なぜその行動・言動が最善と映ったか」が知りたいのに。

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結婚しているとか、していないとか。

子どもがいるとか、いないとか。

子どもが1人だとか、2人だとか。

…子どもを1人産んだとか、6人産んだとか。

「どっちがいい」とかあるんでしょうか。

確かに、子どもを7人育てたら、凄いと思う。子ども3人が全員東大に入っても、凄い、とは思う。

でも。

別に偉くはないです。「立派ですね」などと簡単に言いたくはない。周りの空気に流されて、“無理矢理”「敬意」を払いたくはない。

「子どもを1人産んだ人(で、このあと産むつもりはない)」が「子どもを7人産んだヒト」に引け目を感じる必要は無いし、

後者が、前者に対し優越感を持つのもおかしなことです。






ヒーローをただ崇め奉るのではなく、

踏み台にしちゃいましょう。

彼らの乗り越えた困難は、自分には体験できないものだけど、彼らもまた、我々の抱える(抱えていた)困難を体験してないかもしれないのだから。

それが我らの敬意。


つながれつながれ。