いつまとまんねん

7月1日の視聴

・『NHK高校講座 世界史「中国の分裂と多様化」』
→秦と前漢後漢のあとの世界か。
→魏呉蜀の三国時代。そして、北魏北朝)と宋(南朝)の南北朝時代へ。ん?西晋東晋の後の南北朝時代、なのか?それともその前にあった?これまだ紀元前だよな?それが6世紀末まで???混乱。
→出演のモデル、富田早紀さんの胸元が、いつもちょっぴり開き気味なのはスタイリストさんの趣味だろうか。
→漢の都、長安と洛陽は“魏”に。朝鮮半島の一部まで領土にしてるな。
→建業(現在の南京)があるのは“呉”。
→現在の四川省でもある“蜀”。呉の江南が、魏の中原(ちゅうげん)に迫る発展を遂げていたのは興味深い。なんでだ?
→あ、一応紀元後、なのね。黄巾の乱(184年)。宗教結社なのか。
赤壁の戦い(208年)。曹丕が漢の皇帝から禅譲されて、魏を建国したんだ。曹操の頃かと思ってた。221年に蜀が、222年に呉が建国。
禅譲つっても奪ってるらしいぞ
→漢の末期は外戚(母親の一族)が幅をきかせたりして、ショボくなってんのか。それ、日本の鎌倉時代に将軍から執権政治に⇩なってったのと似てない?

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→60年ほどで三国時代終了。263年、蜀は魏により滅亡。265年、魏からの禅譲(またか!)で晋を建国。280年、晋により呉が滅亡。なら、晋が統一したんじゃ?
※もしかして、蜀を滅亡させたあたりが西晋で、呉を滅亡させたあたりが東晋なんだろうか…?
→な。権力闘争で316年に晋が滅亡。たった50年で。おいおい。んで、紆余曲折の末、北魏と宋の南北朝時代になったんか。ざっくりしすぎでは?
→“陸の”シルクロードで交易してたのは北魏。内陸アジア・ロシア・東ヨーロッパと。
→“海の”シルクロード(初耳なんすけど)は宋。東南アジアやインドと交易。
→ほー。漢の頃の“儒教”が、徐々に“仏教”に。血縁関係から信者関係に。異民族との交わりと共生に、宗教が役立ってるのか!
北朝雲崗石窟。あれこれ、まだ現存するっけ?奈良の大仏に意味合いが近い。
南朝にも。鶏鳴寺(南京市)。
山水画のルーツ。女性画。畳。遊牧民の文化が入って、椅子に坐るように。今はもう、誰も座らない。

・『NHK高校講座 世界史「ロシア革命」』
→ロシアのウクライナ侵攻のせいで、ちょっと前にも放送してたな。

moritsin.hatenablog.com


→ロシアが、バルカン半島の汎スラブ主義にのっかって戦争継続したせいで、貨物輸送が戦争優先になり、“穀物の輸送が滞る”って、まるで今の状況を見るようだよ…100年経っても人間ってホント同じことするよな。農村からは徴兵するし、都市部には食糧来ねえし…。
→デモ隊攻撃して死傷者、とか天安門事件でも、ミャンマーのクーデターでもあったしな。防げねえんだろうな、武器もったヤツらは…。結局こっちも抑止力としての何かを持たねばならなくなる。
→“臨時政府”は戦争継続派、“ソヴィエト”はそれを容認。徹頭徹尾戦争中止のレーニンが、スイスから戻ってきた!
→「帝政打倒」が三月革命レーニンによる「ペトログラードの武力制圧」・「臨時政府の打倒」が十一月革命、てことでいいのかな?ついつい“ロシア革命っていうとレーニン”!て思っちゃうけどそうじゃないのよね。
反革命軍(言っちゃうと、レーニンの方針に反対な方々)を蹴散らすためにレーニンコミンテルンしたのが、各国は気に入らなかったのか。ほいで各国、支援(反革命軍を)したものの制圧されちゃう、と。
→大戦から抜けても、延々と内戦と干渉戦争辛え…。



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