・『映像の世紀 第9集「ベトナムの衝撃〜アメリカ社会が揺らぎ始めた〜」』
→1975年4月30日、がベトナム戦争の終結日か。今回は、“超大国としての地位が大きく揺らぐことになったアメリカ”。あの暗殺も、あるんでしょう…?前回はそこまで見せなかったもんね…。
→いつも副題が先に表示されるよな。
→全人類の平和を求めるケネディ大統領の理想的とは真逆に進む、世界。1962年10月、南ベトナム建国。ゴ・ディン・ジエム大統領のサイゴン政権。しかし、政情不安が弟ゴ・ディン・ニューの秘密警察による弾圧を容認しちゃってるの、どうなん?アメリカの援助で、社会主義の広がるを食い止める役割とはいえ、さ。東シナ海近傍は韓国と日本、てことか。
→北ベトナムはホー・チ・ミンのベトナム労働党。1960年には南ベトナム領内に解放戦線を展開。
→南ベトナムでの、仏教徒の抗議の焼身自殺。ゴ・ディン・ジエムがカトリックだったからってさ。
→愛想をつかされたゴ・ディン・ジエム兄弟は排除され(クーデターをアメリカは黙認)、軍部の臨時政府たつ。
→アメリカ国内の黒人差別。1963年の抗議活動、白人専用食堂があることにも驚きだが、そこに抗議で居座る黒人を、よってたかって殴ってつまみ出そうとするシーンそのものが怖ろしい。
→マーティン・ルーサー・キング2世の登場。かの演説は有名だが、「いつの日か、肌の色でなく人格で評価されることを願う」ことで、逆に「人格が評価されたことで差別をうける」ことを容認してはいまいか?
→そして、黒人差別をなくすため、公民権運動に批判的な南部へ遊説の旅に出るケネディ。ダラスで見舞われる、悲劇。1963年11月22日。
→そしてスケープゴートとしてのオズワルドの、死⇩。『NHKスペシャル「未解決事件〜」』でも。
→跡を継ぐのは第36代大統領リンドン・ジョンソン。1964年1月の年頭教書は、公民権法の成立には寄与しつつ、ベトナムは泥沼に。
→8月2日のトンキン湾事件。北ベトナムの領海侵犯(南ベトナムとの秘密作戦)を隠し、駆逐艦が攻撃されたことを理由に、憤るアメリカ。とんだイチャモンだな。現代のフェミニストか?
→南ベトナム、サイゴンで攻勢を強める(北ベトナムの)解放戦線。テロで揺さぶる。揺さぶりに乗るジョンソン大統領、北爆開始(1965.2.7)。海兵隊ダナン上陸(1965.3.8)。メチャクチャだな。
→B52で南ベトナム(の解放戦線地域)を爆撃。いや、南ベトナム壊してどうすんのよ。
→マルコムXの影響を受けた、ストークリー・カーマイケル。当然、白人との協力を拒絶。でもさー、“平等”を唱えるならともかく“黒人が上だ”って言い出すとさ、白人がここまでやってきたことと同じじゃない?
→マリオ・サヴィオ。学生運動。
→ベトナムでの北爆の映像。撮影を依頼した(1967年)CBSですら尻込みしたこの映像、明らかに民間人にも犠牲者を出している(結局、他の放送局が49分間流して視聴者を驚かすわけですが)。
→ベトナム、テト。旧正月2日にあたる、1968年1月31日。サイゴンのアメリカ大使館を解放戦線が占拠。この「テト攻勢」を鎮圧時の、路上での射殺(解放戦線の兵士を)はキツイ映像だな…。こめかみを撃ち抜き、そこから血が吹き出す衝撃映像。
→フエ攻防戦、ケサン攻防戦。
→ジョンソン大統領は不出馬を決意し、キング牧師は暗殺され、(ジョンソンと同じ民主党の)ロバート・ケネディも暗殺され、シカゴ(新しい民主党の代表を決める場)の反戦でもで民衆は弾圧される。
→そりゃ共和党が勝つわな(ギリだけど)。1968年11月、第37代ニクソン大統領誕生。
→ウッドストック音楽祭(1969)すげえな。どんだけ人がおんねん。裸。
→アポロ11号打ち上げ(1969.7.16)。「静かの海」への着陸(7月20日)。喜ぶ民間人女性のコメントより、ベトナム帰還兵の恨み節の方がインパクト大きいな。
→ニクソン!ブルーカラーを焚きつけんな!!戦争終わらねえじゃねーか!!!なんで「誰一人戦争継続を望んでない」のに、反戦デモ隊(ホワイトカラー)とニクソン支持派(ブルーカラー)が激突すんだよ。
→戦争集結のためにカンボジア(解放戦線の補給基地)を攻撃、て日本に原爆落とした時と思想が同じだろ(1970年5月、カンボジア侵攻)。
→アメリカ軍のベトナム撤退が完了後、翌年(1974.8.9)ニクソン大統領辞任。ウォーターゲート事件のヤツね。で、解放戦線がサイゴン総攻撃開始(1975.4.26)。ひでーな、今のアフガニスタンとおんなじじゃん。助けを求める南ベトナムの民が大使館に…。でも閉鎖。そして冒頭の南ベトナム崩壊(4月30日)。
→両国の国交回復まで、ここから20年。てーことは、この『映像の世紀』放送と同時期じゃん?
つながりつながり。