8月25日の視聴
・『古典芸能への招待 古典芸能を未来へ〜講談〜』
→冒頭の神田伯山「阿武松」、めっちゃ面白かったな!コメいっぱい食うだけ(でもないが)の話で、あそこまで盛り上げられると、現場で見たくなるよなー。
→お、中盤にも。神田伯山「お岩誕生」。やべえホラー講談。コメの話題ばっかだな。
→腹の中の子が「心張り棒を開けるな」と合図を送る様が超こええ。
→どこが爽やかやねん!
◆
・『桂文珍の演芸図鑑「井上順 おぼん・こぼん 三遊亭わん丈」』
→“おぼん・こぼん”、仲直り漫才ってなかなか無いよな。こないだゲストて来てた橋幸夫⇩にもしっかり触れながら。
【2024年『7月21日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20240827/1724690933】
…大河ドラマに合わせて、京都の街の話も絡めながら。
→“三遊亭わん丈”、16人抜きで真打ちに?え、気になる気になる。ネタは「花魁の野望」。
→ああ!2年前の『NHK新人落語大賞』⇩に出てたギリ2位の人か!当時、私も真打ち間違いなしだとか言ってたもんな。
【2022年『11月23日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20221213/1670863866】
→初めからウソつくな!ていうか、師匠に騙されたんかーい!
→創作落語か。大岡越前守が、花魁を身請けして妻に、てなかなかありえへん話。
→三方一両損をイジる妻。
→裁くな!
→「人間関係に10-0なんて、無い!」お見事。
→伏線回収してきた!抱きつきと、市中引き回しと。
→警告(傾国)が上手い。
→“井上順”、スパイダースのボーカルだったかー。もう77,78くらいなのね、歳。
→「春の小川はサラサラいくよ♪」は渋谷の歌なの?
→六本木野獣会!バンドなん?歌いに言った先の田邊昭知に見初められて、スパイダースのツインボーカル(堺正章と)に。
◇
→“山上兄弟”、そりゃマジック漫才って言われるわな。漫才の方をもっと勉強しろ。
→“古今亭菊之丞”「親子酒」。サゲ知ってても好きなのよね、親子酒⇩。
【2024年『4月2日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20240420/1713554040】
…「民放だとCM入れられちゃうんだよね」ってうまいなーもー!
→ずっと喋り倒すね、井上順さん!止まらんなあ。
◆
・『こころの時代~宗教・人生~ シリーズ ヴィクトール・フランクル⑤「“何か”に支えられて」』
→④はこちら⇩。
【2024年『7月28日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20240903/1725334648】
→ロゴセラピーの実践に、この実存主義が必要だったとして。「究極の意味」なんてものを求めることが、個人の生への固執を強くしすぎた感じしかないんだよなー。
→番組テーマのウォン・ウィンツァンの曲、なんか好きなのよね。
→フランクルが、『収容所到着して「ガス室送り」の列に並ばされそうになったとき、担当の命に背いてフラフラと“強制労働”側に寄って行って助かった』エピソードさ。こんなん、頭良くて一か八か動いた(がゆえに生き残った)自分の罪悪感を、“奇跡”と称して責められるのを回避してるようにしか聴こえんがね…。
→勝田茅生さんが、あまりにフランクルやロゴセラピーに心酔しすぎてるのか、まるで見てきたかのように本の内容を話すよね。なんか、小野正嗣さんが、そこに阿ってるようにも見えるし。
→ロゴセラピーに宗教は持ち込まないけれど、終生ユダヤ教に殉ずるフランクル。
→あ、戦後に再婚してたのね。気になってたんだよね。でもその妻はキリスト教(カトリック)。
→「理解を超えた“何か”がある確信」って、なんか『物理学者が現象から“数学上のこの定義がある”のは間違い無い、と判断する』のに似てるよなー。
→他者との距離、のテーマを掲げ始めると、それこそ宇宙物理学に踏み込みそうだな。人体は宇宙や!
→「この世は、品格のある者と、そうでない者の2種類」。そんな言い方する人間がいると、大抵一方の否定になりがちなんだけど、フランクルは“その両者がいてこそ、世間は成り立つのだ”。
→モナントゥロピスムス、「一人類主義」。フランクルの造語か。
◆《「今日の数学」のコーナー》
→再⇩。
【2022年『9月18日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20220928/1664336191】
【2022年『9月21日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20221002/1664674977】
→空集合∅とその集合そのものも、部分集合に含まれることは忘れずにいきたい。
→命題「試験に“合格”(p)したのならば“受験”(q)した」。pは十分条件、qは必要条件。qを“ならば”の後ろなのに「条件」と呼ぶのは抵抗があるが、この例において合格するためには、受験する“必要”があるという説明なら、確かに分かりやすいな。
つながりつながり。
