一本撮り

1月12日の視聴

 

・『アクティブ10 レキデリ「明治時代 女性はなぜ工場で働いた?」』

→資料No.1「上州富岡製糸場之図」。明治5年、1872年に開業。フランスの最新技術。政府が経営(官営)!あ、これ蒸気の力なの?

→江戸時代後期(1843年)の「豊年蚕之図」では手動。ほぼ農家の女性の手工業、てことか。

富岡製糸場、当初は「士族の女性」でまわしてたの?なんで?

→あ、指導員の育成か。農家の娘では学がないから指導員には向かない、と…。

→明治中期(明治26年〜)、民間に売られた富岡製糸場、初期のホワイト企業感はどこへやら、労働時間は増え、休みも少なく。ただ、給料は出来高制に。なるほど、プロ育成か。100円工女も出てくるわ。

→資料No.2「諸色峠谷底下り」(明治16年)。農村女性が工員に増えてくる。そりゃ、技術次第で稼げるなら出稼ぎにくる、てことでは?

→あ、ちょっと違うんだ。物価が下がって農作物では儲けが出ない、てのもあるのね。小作農では食ってけない、と。

→しかし問題となる「長時間労働と低年齢化」。政府がとった「こ…」ってなんだよ!気になるわ!

 

 

 

 

つながりつながり。