映像の世紀⑪

・『映像の世紀 第11集「JAPAN〜世界が見た明治・大正・昭和〜」(終)』
→明治から戦後の復興まで。映像によって海外に伝えられた日本の、姿。極東の小国としてしか見られなかった日本の変化。
→1901年当時の神戸。新橋駅(現・汐留)。ヨーロッパから船で1ヶ月あまりの距離かー。
→相撲だ。
→明治が始まりわずか30年での急速な西洋化。ヨーロッパ人が驚くのも無理はないが、彼らがそれを賛美するのは上から目線が過ぎる、のては?
日露戦争から世界の歴史映像の表舞台に出てくる日本。「あの小国が、大国ロシアと戦っている」こと、西洋文明が綿々と受け継いできた技術などを「たった1世代で習得したこと」が驚かれる。欧米人、日本人をどんな蛮族だと思ってたんだ?
→のちのインド首相ネルーに勇気を与えた、日露戦争の勝利。水師営での会談、とか世界史の授業でやったろうか。思い出せん。
伊藤博文暗殺後の映像!ぼやけてるけど。安重根がおる。
→1915年(大正4年)、パナマ太平洋万国博覧会。サンフランシスコで。
ロシア革命時の、日本軍のシベリア駐留、連合国軍の10倍?それは野心を疑われてもしゃーないでしょう。
裕仁親王(当時20歳)のヨーロッパ5カ国訪問。日本の皇太子が海外訪問するの、歴史上初!日本の保守層がそれに反対してたとは、知らなんだ。喜んで送り出しているものだとばかり…。

→台湾訪問する摂政・裕仁親王。摂政!
関東大震災(1923.9.1、大正12年)。地震による火災で東京・横浜が壊滅的に。ひー。
→カリフォルニアの、日本人移民の排斥運動。マジで仲良くしろよ。安い賃金で働いてくれてるからと、アメリカ人の仕事奪ってる、て言うなら今日本で働きながら学んでる留学生とかどーすんねん。
→「大正13年、日本からアメリカへの移民は、実質上、完全に禁止されました」。なにそれ。
昭和天皇の即位の式典、なぜ元年でも2年でもなく「昭和3年(1928年)」だったのか。準備の関係?
ブルーノ・タウトの昭和の日本観。
満州事変勃発(1931.9.18、昭和6年)。
満州国建国(1932.3.1)。んで、リットン調査団に3ヶ月調査の末「国際秩序の方が大事だろ」って言われて、翌年脱退、か。
リンドバーグチャップリンベーブ・ルースと大リーグ、ヘレン・ケラー。1931〜1937くらいまで、戦争と並行してめっちゃ有名人来てる。
アメリカの反日感情あおる国策映画、なんなんだマジで。「GeishaSalmon(ゲイシャサーモン)」なんて売るかよ。このメディアのやり口、この令和の日本が中国や北朝鮮に反感抱く映像作ってんのと大差ないんだよな…。今はガセどころか映像もイジれるし、切り取れるし。
→昭和16(1941)年12月8日、真珠湾奇襲。
→これに対して日系人を収容したアメリカのやり口に対し、ニューズウィークが懸念を示したのは良かった。だって、ナチスドイツと大差ないでしょうよ、それ?
チャンドラ・ボース。インドの独立を支援してくれるのが日本、という位置づけか。
→昭和20年8月30日、マッカーサー来日。ここから、7年間の占領が始まる。
→1945(昭和20年)年9月2日、戦艦ミズーリでの降伏文書調印。江戸時代にペリーが持ってきた星条旗?!そんなんまだあったの??
東京裁判。キーナン、自分たちの横暴さに弁護側(ブレークニー弁護人)の主張(日本のやることが違法なら、原爆だってアウトじゃん?)も虚しく、東条英機も絞首刑。
朝鮮戦争の前後。ソ連からの日本への帰還兵を「共産主義の手先」と言い、軍を作らないはずの日本に警察予備隊作る。自分の国のために簡単に民主主義の本質をかなぐり捨てる。悪質な国だよ、アメリカ。ソ連の主張(民主主義はどうした?日本をアメリカの橋頭堡にしようとしてない?)はもっともだよ。
→昭和26年9月4日。48か国とサンフランシスコ講和条約、同時に日米安全保障条約を結ぶ、吉田茂
→昭和27年4月28日、条約発効。そして血のメーデー
→そして1953年から始まるテレビ時代。


※後悔。こんな面白いなら、第1集のメモも全部保存しておけば良かった…。



つながりつながり。