映像の世紀⑧

・『映像の世紀 第8集「恐怖の中の平和〜東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した〜」』
→1952年。第二次世界大戦中の連合軍最高司令官アイゼンハワーが、大統領に。共産主義と対峙。
→1952.11.1。アメリカによる水爆実験。中部太平洋、エニウェトク環礁。威力は、広島に落とされた原爆の、550倍?!ナレーションで「島全体を成層圏にまで吹き上げ粉々に砕きました」、てサラッと言われて、ワタシだいぶ引いています。
ロシア革命35周年。そういやスターリン、いつまで生きてるの?
ニキータ・フルシチョフ。次はこいつか。
→ん?スターリンの死から6年後、なんでフルシチョフは急に失脚したの?なんで歴史から抹殺された?
フルシチョフ肉声。側近として、アメリカに恐れ戦くスターリンが、少ない国力を核兵器開発に全振りした様を語る。そうよな…自らが殺される恐怖が、粛清や弾圧に駆り立てる狂気となる。

→核秘密都市・クルチャトフ(現在のカザフスタンに)。1953.8.12セミパラチンスク核実験場での水爆実験。アメリカに追いつくソ連。…いや、追いつくなよ。
スターリンは3月に死去
スターリン死んで、西側との関係改善もこの段階で考え始めたのに、なんでソ連はここから30年強も
エリザベス女王(2世)の戴冠も1953年か。
→資本主義のショーウィンドウ、西ベルリン(北側から順にフランス・イギリス・アメリカが統治)。ソ連統治の東ベルリンと段違いの豊かな生活。東ベルリンでおきる暴動(1953年6月)。戦車で鎮圧するソ連軍。もうグダグダだな。この段階では、東ベルリンから配給もらいに西ベルリンに市民が来ているから、“ベルリンの壁”はまだ無い、のか?
朝鮮戦争(1950)も休戦まで3年か。マリリン・モンローが韓国駐留するアメリカ軍を慰問(1954年2月)した時点ではすでに休戦してたのか。
ソ連が次々と成功させる核実験が、アメリカを弱腰に。ダレス国務長官に頼るアイゼンハワー
→兵士が核爆発にさらされる(塹壕で)実験?アメリカ何やってんの??バカなの???第五福竜丸も。
→自由なハンガリーを求める市民。蜂起は圧倒的ソ連軍によりツブされる。こんなんばっかだなソ連
プレスリーってこの頃かー。
→「スプートニク1号(1957.10.4)が、実はソ連の核戦争での優位を決定的にした」てどういうこと?衛星軌道上から無線でミサイル誘導できる、とかそういことかな?
→2号(ライカ犬入り)は1957.11.3。こんな短期間で…。アメリカはロケット(ヴァンガード)打ち上げ失敗(1957.12月)。
→現在のウクライナ共和国(当事ソ連)の軍事ミサイル工場。ウクライナもなー、こんなもん置かれて、ソ連崩壊で独立して、今度はクリミア半島だけ2014年からロシアに実効支配されたり、忙しいのう…。
→あー、なるほど。スプートニクの成功は、この軍事ミサイル(ICBM、大陸間弾道弾)も飛ばせるぞ、という意思表示になるのか。衛星利用、ではないわけね。
→核攻撃の恐怖にさらされるアメリカ。まさかこの後の未来で、ソ連からの核ミサイルはなんとか回避したにもかかわらず、旅客機を墜とされるなんて思わなかったろうに。
ソ連40周年記念式典(1957)、我が世の春だな。共産党指導者の面々。フルシチョフ、以前就いてた首相に就任(1958)、第1書記と兼任。プーチン大統領もそうだけど、ロシアは首相と大統領を交互に行き来して権力を維持する、みたいのがお家芸なのか?
→当時のベルリン、“東ドイツから西ベルリンで難民登録して西ドイツ(ひいては西側世界)へ脱出”してたのか。そりゃフルシチョフも不満だろな。
フルシチョフのベルリン占領軍の撤退を提案。いやさ、西側が呑むわけなくね?核ミサイルを盾に圧力をかけてくるつもりか?
→やっぱそのつもりらしいな、フルシチョフ。軍事費追加を求めるアメリカ国民に「軍事費を増やすなど無駄遣いだ」と言い放つアイゼンハワー。え、大丈夫?
→強気のアイゼンハワーの理由。「秘密偵察機U2」。ソ連のミサイル配備が進んでないことを掴んでいた!
→1960年10月、バイコヌール宇宙基地での実験中のミサイルの爆発炎上。死者91名に、戦略ミサイル軍の司令官も。これは痛い。

⇒不謹慎だとは思うけど、ベルリンを巡ってあれこれ策をめぐらす米ソ両陣営の駆け引き、面白くてしょうがないんだよな…。うん、不謹慎だとは思うけど…うん。
→1959年9月、アンドリュース空軍基地を訪れるフルシチョフソ連首相の初めての訪米。こっから30年、崩壊するまで仲良くできなかったわけで。
→1960年5月。U2ソ連軍に撃墜される。スパイ行為がバレたら正当化するとか、アメリカもなかなかに汚い。
→1960年11月、ケネディ大統領就任(第35代)。ニューヨークの国連総会でソ連と近づくカストロアメリカの目の上のたんこぶに。
→1961年4月。世界初、有人宇宙飛行に成功するソ連。ユーリー・ガガーリンだな。
→ウィーン会談(1961年6月)て、米ソだけなの?再び占領軍撤退を求めるフルシチョフ。断るケネディ。2ヶ月後(8月13日未明)、突如築かれるベルリンの壁。ここでか!60年前の悲劇。28年後の歓喜まで。
→壁の目の前で、最後の別れをした母娘。どっちがどっちに残ったのだろう。
→1964年10月。壁の下に、全長145mのトンネル掘ったの!?10ヶ月の秘密の作業で?脱出したの、57人だけか…。
ケネディ大統領の誕生日に来た2ヶ月後、謎の死を遂げるマリリン・モンロー
ケネディ大統領を牽制するフルシチョフ。1962年10月、U2が見つけた、キューバのミサイル基地。一触即発。
→あー…この後、フルシチョフがミサイル配備を撤去し、大気圏内での核実験が禁止されたのか。で、大気圏内で出来ないから各国「地下核実験」をこぞってし始めた、と。なんじゃそりゃ。結局すんのかよ!




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