・『映像の世紀 第7集「勝者の世界分割〜東西の冷戦はヤルタ会談から始まった〜」』
→ヤルタ会談、イギリス・アメリカ・ソ連の三国だったんか。終戦手前で終わることを想定して会議するあたり、欧米のやり口迅速。
→ルーズベルトの思惑、甘すぎじゃねえ?「チャーチルと違って、スターリンは現実主義だからうまくやれる」とかさ。
→チャーチルとスターリンのやりとり、どっちかっていうとチャーチルの方が現実的な案で勝負してる。ドイツからなにもかも取り上げるのは得策でない、と。
→戦後ドイツって、イギリス・アメリカ・ソ連・フランスで割譲してたんか。どのタイミングで2国(アメリカとソ連)の分割占領に変わったん?
→ポーランド処分、とは?
→ポーランド・ロンドン亡命政権。そんなんあったんか。
→1943年4月。ソ連領スモレンスク付近のカチンの森。ポーランド将校の4,000人もの虐殺死体。スターリンの逆ギレ。1944年ポーランドの東半分を取り返したソ連。ルブリンで、ルブリン政権立てる(ロンドンな亡命政権に対抗)。ポーランドの国内軍(亡命政権主導)を唆したの、ソ連だったのか。急にワルシャワに入らないソ連軍。ドイツ軍の報復で壊滅する国内軍。卑怯なり、スターリン。
→なるほど。で、「ポーランドの東半分」は、ソ連に。「ポーランドの西半分」と「ドイツの東端(1/4くらい?)」を合わせて「新しいポーランド」に。それを“ポーランドが西にずれる”と表現されてるのか。それをソ連がヤルタ会談で認めさせた、と。
→領土で譲ったのに、「亡命政権ダメ。ルブリン政権。」に固執するの、交渉ヘタなのか、スターリン?!禍根を残すと後に響くんだぞ?
→バルカン取引、とは。
→1944年、ルーマニアとブルガリアにソ連侵攻。ヤルタ会談前の1944年10月、このことについて既にチャーチルはモスクワに向かっていたのか。ギリシャにこだわるイギリス。
→1945年2月8日。ルーズベルトはルーズベルトでソ連と秘密会談。アメリカの弱みを握るソ連、対日参戦と引き換えに、千島樺太および満洲を手に入れる算段。ルーズベルトはホクホク顔。
→へ?台湾、1943年のカイロ会談で中国返還が決まってたの?この段階ではスターリンが蒋介石に任せるつもりだったんだな…。
→朝鮮半島は、「独立はさせるけどアメリカ・ソ連で信託統治」。
→しかしこれを戦争終結前に全て決めちゃうんだから、日本とどんだけ彼我の差があったんだか。
→結局、ソ連にポーランド占領されてんじゃん。で、戻ってきた「ロンドン亡命政権」、スターリンに逮捕されてんじゃん。約束と違くね?ルーズベルト、その件で悔しさを滲ませるチャーチルへの手紙でも「ソ連との関係はまるく収まるよ」って根拠ない楽観論。んで書いた翌日に死ぬなよ、ルーズベルト…太平洋戦争キツいからソ連参戦させるために強く出られなかっただけだよね…最初から「ロンドン亡命政権」見殺しにする気だったんじゃない…?
→トルーマン大統領、ルーズベルトからなんも聞いてなかったんだな…。ソ連外相モロトフに、ヤルタ会談の約束を守るよう迫るトルーマン。ルーズベルトのせいだ。
→ポツダム会談直前に、核実験成功(ニューメキシコ州アラモゴード)を知るトルーマン。日本の降伏ににソ連が不要に。だから、ポツダム宣言の起草は「アメリカとイギリスだけ」だったのか…。ほーらね。ソ連の首絞めたじゃん、スターリン…。
→あーもう、初手から朝鮮半島は38度線で「北はソ連、南はアメリカ」の分割占領だったんか。
→お。ビキニ環礁での原爆実験、日本軍の戦艦をブッこわすためでもあったのか。なーる。
→飛び地だからって、西ベルリンだけ封鎖するとか、ソ連なんてことしやがる。
→そうだよな。飛び地なんだから、西側陣営としては空輸するしかねーよな。で、封鎖は解除されたと。でもドイツは東西分裂しちゃうん?
→アメリカのマッカーシーによるコレ、大規模や共産主義への弾圧じゃん?チャップリンまで追い出しちゃってさ。権力におもねる人じゃなかった、てだけじゃん。共産主義関係ないじゃん。
つながりつながり。