マンガのドラマ化の難しさ

7月25日の視聴

・『ファインド・ミー 〜パリでタイムトラベル〜 第13話「大舞台の夜に」』
→久々の再会、かつ再開。
→ファインド・ミー、「打ち切りにしようと思ったけど、思いのほか人気が出たのでもう少し続けてみよう」感がすごいんだが。

・『ネタパレ(2020.7.24)』
→深夜はこんなに革新的で面白い…のに、なんでフジテレビは朝から夕方までお寒いカンジなのか。昼のスポンサーが無難さしか受け付けない企業ばかりなのか。

・『〈木曜劇場〉アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋 第2話』
→ケータイで済む「麻薬取締官来襲」の話を、わざわざ走る意味がわからない。でんでん演じる薬剤師の重鎮(?)みたいなオッサンに、なぜ麻薬取締官が来る情報が伝わってないのか不明。伝わってればもっと早く解決したじゃん。穴が大きすぎて、せっかくの本筋がブレる。
→今回の話に限って言えば。最後の父娘の関係、(父が)失踪してたからって娘が父を苗字で呼ぶのはなんか腑に落ちないし、娘の結婚式に父本人が(理由はどうあれ)行きたがらないのに無理くり勧めてくるのもヘンだし、あとついでに言うと「元妻に娘の中学入学式に誘われて自分から断ったにも拘らずこっそり蔭から覗く父親気持ち悪い」

・『赤毛のアン 第19章「ダイアナの誕生日」』
→何度も言うが、マリラにアンがお願いする様が、我が子に似ていて脳内トリップしそう。
→マシュウのささやかな執念。案外ねばりますね。
→アンのギルバートへのライバル視はささやか以上の執念。逆にギルバート優しいな。
→バリー家のオバサン(ダイアナの父の叔母か伯母)、完全にアンにほだされたなー。ダイアナはアンの心に安心をもたらし、アンはダイアナの家に平穏をもたらす。壮大な愛。

・『赤毛のアン 第20章「再び春が来て」』
→このタイトルで、開始2分で「ある6月の朝、」て春は!春はどこいった!!
→アン、すげーマリラのお手伝いすんじゃん。もしかして、この日はアンが来て1年の記念日?とか?
→…ぽいな。
→アンが数学の合同だか相似だかの証明?計算?をしていてその秀才ぶりに驚愕。
→回想と現在の切り替え方がわかりにくくて時代を感じる。んで、マリラの思い出し笑い。ツンデレだなあ。
→マシュウの風貌が、現在の宮崎駿さんそのもの。
→春って、そういうこと?

・『赤毛のアン 第21章「新しい牧師夫妻」』
→キライな先生との別れで、なぜか泣く女子の群れ。なんで何十年経っても変わらないの?アニメとしての脚色を無視するなら、日本とプリンスエドワード島(カナダ)でのこの酷似は一体?同調圧力みたいなのは万国共通?
→別に、牧師の奥さんが美人でも膨らみ袖でもえーじゃろうに。
→野次馬マリラ。だけじゃなかった。恥ずい。
→牧師夫妻、めっちゃ見つめながら歩くやん。前見て歩かんかい。
→バリーの池を「きらめきの湖」と名付けたアンを、否定しないアラン夫妻。いいことありそう。学校が楽しくなりそうな予感。「ドライアドの泉」にも案内しちゃう。
→アラン夫人のエクボは、アニメ上の表現でなく、そもそも「ある」設定なのだな。

・『赤毛のアン 第22章「香料ちがい」』
→料理に失敗しそうなタイトル。
→ビビるマシュウ
→「しかし、アンのケーキはやっぱり膨れた。」嬉しいナレーション。
→そしてやらかすアン。
→そして復活のアン。現金に、マリラと食器を洗いながら、しゃべり倒すアン。


マリラ「アンタみたいにやらかす子は見たことないよ」
アン「あらマリラ。でもわたしのいい所は、同じまちがいは二度と犯さないトコなのよ」
マリラ「また新しいことを沢山やらかすに決まってるよ」

…その通りです、マリラ。



【当日の我が子メシ】
・11:15
白身魚のフライ

・13:00
→マーブルチョコ、でその入れ物に水入れて飲む

・21:45
→おにぎり、キットカット



つながりつながり。