「公的扶助」の存在には非常に感謝しています。預貯金が減る中、家族3人「もうこのままでは死ぬかもしれない」恐怖と戦うのはしんどかった。
受給することで、それまで納税してきた自分への誇りと、「納税」というシステムへの感謝が生まれました。雇用されている頃はほとんどなかった感情です。
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それと同時に。恨みにも似た感情も生まれます。病院に行く際に頻繁に湧いてきます。それはなぜか。
現在の「医療券」のシステムは、受給者の精神的負担が多すぎです。例えば、
・【医療券を所持している場合】
→病院受付で保険証以外のものを提示するということになります。少しでも詳しい人間なら、生活保護受給者であると分かってしまいます。その時点で、患者等「職員以外の人間」には生活保護を受給しているという情報が行き渡らないように配慮するという福祉事務所の言い分が通りません。コソコソ医療券を出してる方もいらっしゃるはずです。疲れます。
・【医療券を所持してない場合】
→100%緊急時です(とはいえ、医療機関に行く際は、誰もが緊急だと思っているはずなので、おかしな言い方ではありますが)。役所に行っているヒマはありません。
→この場合、全て以下の方法に集約されます。病院受付では毎月福祉事務所から郵送されてくる「保護決定通知書」で代用し、診療が終わり次第(土日祝日であれば翌日以降)福祉事務所に連絡することになります。なる…はずなのですが…。
私が病院受付で経験したのは
→土曜日に“生活保護受給中かつ受診したい”旨を伝えたところ「受給券が無いならダメ→土曜日は福祉事務所が休みだから諦めろ」と言われたのとか、
→平日受診だが(医療券発行のために福祉事務所に行くと、その間に病院の受付時間が終わってしまうため)“保護決定通知書”を提出するも受付で「福祉事務所に医療券をもらいに行ってください」と言われたのとか、
→職員が“保護決定通知書”の本人確認のために、福祉事務所にTELをし(たまではいいが)、待合室じゅうの患者に聞こえる音量で「生活保護受給されてる○○さん(私の名前)のことで…」と言い放ち、私が患者たちに白い目で見られ(ているような気がす)るとか、
→医療従事者の理不尽がまかり通る。すごく疲れます。
・【精算時(上記の2つのどちらでも)】
→どこの医療機関でも生活保護受給者を受け入れている訳ではありません(生活保護バッシングする輩は知らない人も多いでしょう)が、受け入れられたとしても料金の支払いのやりとりは等しく発生します。
→精算時に「無料です」と言われると、これも待合室じゅうに「あの人、生活保護なんだ」と思われることが大きなストレスになります。
・【以上、全ての過程において】
→生活保護であることへの“恥ずかしさ”は無いですが、(生活保護への偏見から)家族に“何をされるか分からない恐怖”はあります。近所の住人に会うのを避けたいので、近くの病院を使いづらいことにつながります。交通費がかさむ要因に。
→さらには具合が悪くても医療機関へ行くのをためらい、結果として休日に限界がきて、夜間救急や休日救急にかけこむという、およそ福祉事務所からしても面倒な事態に。
この「医療券」システムの無駄は、受給者にも福祉事務所にもいいことがありません。
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【提案】
・マイナンバーカードを義務化。保険証を廃止し、ゆくゆくはカルテ含む全ての医療情報を、そこに入れ込む
→全国民が等しく医療機関でマイナンバーカード提示するルールなら、生活保護受給者かどうかは秘匿されるのではないか。
・医療費の3割を生活保護受給者にも支払わせる。
→無料にしないことで、生活保護受給者かどうかは秘匿されるのではないか。
→それに伴い「国が3/4、自治体が1/4」の医療費補助を廃止。「自治体が7割補助」するのみ、とする。
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で。
自治体が、医療費による財政圧迫を受け、生活保護へのバッシングを強めるかもしれない。が、このご時世に受給者への違法な圧力はすぐ広まるし、圧力を強めれば票田である老人は死ぬ。
目指す先は、自治体を人口が維持できる規模まで合併させ、
自治体が自身で稼ぐ方向にシフトすること、だと思う。
自治体は毎年、やらなくていいことを削らずに、場当たり的なイベントやりすぎ。稼げるわけないじゃん。まさか、生活保護受給中の人間よりは稼げる、とか思ってるんじゃなかろうな…。
と、いうわけで技術の導入、法律の改正、条例の制定、等々よろしくお願いいたします。
誰がやる?