- 作者: 岡田麿里
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/04/12
- メディア: 単行本
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5月25日の視聴(その1)
・ドラマ『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』
→3ヶ月前の録画。ドラマ後半、AKBの前田敦子と、岡田麿里(ドラマでは坂田安喜子)が重なる。私の知る限りでの前田敦子は、そんな嫌われる要素のある女性ではない。でも、見えない誰かしらと闘い続けた彼女が、主人公にダブって見えたのは、気のせいとは思えない。
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昨今のドラマは、(今クールですら)『わたし、定時で帰ります。』といい『家政夫のミタゾノ』といい、引きこもりネタ多い。
まあ、引きこもりが市民権を得つつある、という解釈もある。が、扱うパターンが「引きこもりは良くない」「いつかは外に出よう」「だから“今は”休んでいい」という演出ばかり。げんなりだ。
制作サイドは、外へ出るのがゴールだとでも思っているのか。ストーリーの大概は、家族が勝手に世間体を気にしていたり、外に出る手助けをしようとしたりする。
家族のその思いが、(引きこもりの)当事者の身体を動けなくし、何もかも諦めてしまう。
千原ジュニア、岡田麿里…。「かつて引きこもりだったが、今は外に出て活躍してるひと」の例なんかを、家族がこれ見よがしに伝えて来るのも、当事者からすると相当ウザイ(自分でそーいう方に出会って勇気が出た、とかは別にいいとは思うが)。
だって、それも「外へ出るのが正解、引きこもりは不正解」という無言の圧力だから。
引きこもり当事者に必要なのは、
ずーっと引きこもっていて、今現在も引きこもっていて、今後もずっと引きこもるつもりで、しかもやりたいことなんか何もないけど、イキイキしてる人
の例とかだと思う。
◆◆
ぶっちゃけ生きていれば、食欲・性欲・睡眠欲のどれかからは逃れられないわけで、“欲=やりたいこと”とするならやりたいことのない人など厳密には存在しない。
世間に問題視されるのは“成人してる引きこもり”なので、そんなのは家族と世帯分離して生活保護でフォローしたほうが、勝手になにかし始める(外で、という意味ではない)。
「経済的自立が本当の自立」?それを言い出したら、年金のみが生活費のご年配は全員自立出来てないでしょ。稼ぐ能力ないんだから。
自立の定義を勝手に決めて、その定義に引きこもってる人間を当てはめるのは、無駄です。
引きこもっている人間は、その次元にはいません。もっともっと先へ進んでいるのです。
人間ナメんなよ。
つながりつながり。