だけどボクにはピアノがない

私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)

私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)


我が子は保育所に通っている。

その保育所の広間にはピアノが1台ある。

我が子はピアノ(の鍵盤を叩くこと)に興味があるようだ。

しかし。

そのピアノは、仮に保護者が横についていても使ってはならないそうだ。

「他の子がマネするといけないから」

という釈然としない理由で。そこには、

なぜマネされると困るのか

という、子ども本人が一番気になる理由が欠けている。

◆◆◆

我が家の近くに老人施設がある。

その施設の広間には電子ピアノが1台ある。

我が子は電子ピアノに興味があるようだ。

しかし。

私が使用交渉したところ、その電子ピアノは誰も使ってはならないそうだ。

「カフェの開いてる時間に使えますか」
「併設のカフェ(月曜のみ、正午あたりの四時間のみ)に来るご年配がびっくりしちゃうんで…」

「では、カフェの開いてない時間帯ならどうですか」
「外部の方が使うのはイベント(年一回あるかもわからないような)のみ、なので」


という、体よく追い返すだけの理由をのべなかがら。そこには、

住人のご年配たちですら使わない(使わせない?)電子ピアノ

になんの疑問も持たないという、職員の意識の高さ(←皮肉です)が見えている。


◆◆◆

我が家の近くに公民館がある。

地域サークルでよく使う広間に、ピアノが1台ある。

我が子はピアノに興味がある。

しかし。

興味のみでは使わせてはもらえないようだ。



私が職員に、使用条件を確認したところ、

「個人ではつかえません」
「サークル活動ならばつかえます」

と言うのでサークルとしての最低人数などを問うと、


「人数の規定はありません」
「が、サークルかどうかは館長が判断します(!)」


などと、諦めるように促すような口振り。ここには、

公共施設は“家族では使わせない”

ということを頑なに守り続ける、無思考な大人しか働いていない。


◆◆◆


彼らは

本当は

何を心配しているのだろう。




…もしかして、

この国には。



ピアノは習い事でするもの

という決まりでもあるのではないか。


であれば、ピアノ講師の親の元にでも生まれない限り、貧困家庭はピアノの1つもいじれない。音楽に対するちょっとした才能も、お金がないと見いだす機会すら与えられない。

場所代だけ支払って、ただ好きなように弾きたい人間は認めないのだ。

◆◆◆


私は、我が子にピアニストになってほしいわけではないし、

脳にいいとか指先を使わせたい、とかの教育方針も皆無だ。

だから、基礎から正しい指使いをすることなど求めてない。




仮に今後、我が子が「ピアニストになった」としても、

私が骨身を削ってレッスン代を稼ぎなからピアノ教室に通わせる、といった美談など要らない。子どもを利用するような自己顕示欲はない。



いま
この時
我が子の


ただただ「楽しい」という気持ち


それを尊重したいだけ。





誰もわかってはくれないのか






つながりつながり。