勝ち組先生

通学は必要なのか?

「必要だ」という人は、すぐに「あなたも学校生活を経験してきたんでしょう?そこに意味が無かったとでも言うんですか?」と言いがちだ。

勉強してきた過程に「意味があったか無かったか」という問いに関しては、自分は

「あった。が、ゼロではない、というだけ」

と答えるだろう。なにしろ、私は通信添削で学習した範囲の、“答え合わせ”で学校に行っていたのだから。

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学校の教員たちは、現状のおかしさを変えることも出来ず、声をあげることもせず、(私立を除けば)公務員のルールがあることを理由に、忙しすぎる毎日にただただ消耗しているだけ。

いじめが発生して不登校になると、彼らの学力のフォローが出来ずに悩む。

教室内で学力差が生まれると(ほとんどが算数だ)、授業の進捗と難度の狭間で悩む。

本当に意味のある一手とは?

学校の教員が、自らの授業(講義形式のもののみ)をYouTubeにアップすること。

出来れば担当教科全範囲。教員の得意分野で分担してもいい。

学習指導要領が変わるまでは、一度作ればしばらく修正のみで済むし、自分の授業の客観視にもつながる。


インフルエンザでの学級閉鎖にも対応出来る。

得意な子はどんどん進められるし、苦手な子は他の興味あることに力を注げる。

(女の子が)生理がキツいときまで、無理して学校に行かなくていい。

(小学校なら)担任によって授業の当たりハズレがあるが、子どもたちは“分かりやすい”先生の授業も見られる。

校舎は、『時々集まる場所』になり、多くの生徒たちの“無駄に費やされる時間”を減らすだろう。

教員たちの存在価値は問われる。
それは、クビになる可能性を常に意識することになるという、

当たり前のこと。

ぜひ、覚悟のある教員が増えることを望む。


つながりつながり。