ゼロになったら…

その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)

その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)

今日、Eテレ『すくすく子育て』で、「なぜ子どもにキレてしまうのか」をテーマにしていたがピンと来ず。というのも、

・専門家二人とも、困っている母親たちに「キレてもいいんだよ」とは言わない
・専門家ですら、叱るのは愛があるが、感情的に怒るのは愛がないからよくない、とか「どこで区別すんの??」的なことを言い出す
・家庭内分担が夫婦の同意の上だということを差し引いても、「夫たちの“他人事”感」がすごい(妻の“相談”にはのってるんですが…とか口走る)


…という事態。昨日のエントリの“コトバ”と同様の視点が、専門家にも夫連中にも欲しかった。

愛のある叱りの延長に、不運な虐待死が存在することを、忘れてはいませんか?




お母さん方(および子育てをしている全ての方)へ。

どうすれば、自分の子育ての時間を、限りなくゼロに近づけられるか

を考えるのは罪ではありません。むしろ、その罪悪感を疑ってくださいな。


つながりつながり。