「働く」と「仕事する」は同義ではない。
例えば、家事や育児は、収入にはならずとも(=仕事でないが)、1人以上の人間の多大な時間と労力を要する(=働いている)。
そこに想いが至らないと、ひと昔前の男達のように、
「誰のおかげでメシが食えているんだ」とか
「誰のために働いているんだ」などという、
思考停止な発言を許すことになる。
こっちだって働いているっつーの。
人間の尊厳を、収入の多寡で奪われてたまるか。
そう感じた、秋の夜長。
pha氏『ニートの歩き方』と出会うきっかけとなった、
『未来の働き方を考えよう』(ちきりん、文藝春秋)を再読しようかな。